村上春樹の「アンダーグラウンド」を読んだ。
ずっと読もうと思ってたけど、ずっと読むのが怖かった本だ。
ハードカバーの分厚さにも怯むし、
(なんせ借りても持って帰ることを考えるとおっくうだし)
事件だけでなく事故や何かしらの被害者の話は、
なんというか、怖い。
(同じ理由で「心にナイフを抱いて」も読めてない)
たぶん、臭いものに蓋をしたい心境なんだと思う。
アンダーグラウンドが「地下鉄サリン事件」のノンフィクションであるということは
結構前から知っていた。多分、4年くらい前から。
ちょうどその時分「A」という森達也氏の
ノンフィクションの本を読んで興味を持って、
立て続けにいくつかの本を読んだ時に知ったんだと思う。
(「A」はオウムの同名のドキュメント映画を撮った同氏が
その時のことを記録した本である。
それ以外の本は題名すら忘れてしまったけど)
事件当時のサリンの報道のことは全く覚えていない。
関西に住む中学生だったこともあって、
そのちょっと前に起きた震災の方がより身近なものだった。
(現にその地震で家の壁にはひびが入ったし、
朝からすごい揺れで目が覚め、まさに自分が恐怖を感じた)
私にとって1995年というのは「阪神大震災」の年というほうがしっくりくる。
それに、これは読んでる途中にふと思ったのだが、
「阪神大震災のせいで」とか「震災の時は」とかいう表現を本などで目にすることはあっても、
「地下鉄サリン事件のせいで」などという表現を見かけることが、あまりない。
つまり震災はみんなの中で反復されるのに、サリン事件は反復されないのである。
このことも私にとって事件が遠い理由の一つだと思う。
ところで「地下鉄サリン事件」なのだから、当然舞台は「地下鉄」に決まっているが、
なぜか私は読んでいる途中で
「あれ、なんで地下鉄の駅員さんが話しているのだろう」と思った。
もしかしたら一番はじめのインタビューイーの「JRに勤めていた」という文を読んで、
JRだと思い込んだのかもしれない。
つまり私のこの事件の認識はその程度だったといえるが、私はそれに驚いた。
「地下鉄」ということすら頭に残らないほど、この事件は私になじんでいないということに。
結局読んだ感想というのは、ない。
ない、というのは語弊のある言い方だと思う。
少なくともこうして本を置いてすぐにこのブログを書いているのだから。
ただ明確にこう感情が揺さぶられたとは書けない。
どう扱っていいかわからない感情が、相変わらず渦巻いてるだけだ。
「A」を読んでからある、なんて言っていいかわからない不安定で不可解な感情が混沌を深めたので、
しばらくはまたこの感情とつきあっていくだけだ。